よもぎ日記

ゲームや読書が好きなインドア派。平凡な日常ネタばかりになると思いますが、インターネットの片隅でこっそり生きていくつもりです。

【絵本】みえるとか みえないとか ヨシタケシンスケ、伊藤亜沙

よもぎです。

世の中には、それはそれはたくさんの人々がいますよね。そして人々は皆それぞれ様々な事情を持っています。「周囲の人と体のつくりや機能が違う」という場合もあるでしょう。例えば「この人は目が見える・耳が聞こえる」「あの人は見えない・聞こえない」といった身体的な違いです。

 

これにはアレルギーやアトピー等も含まれるかもしれませんね。人によって症状は様々です。実際わたし自身も、ものによりますが金属が肌に合わなかったり、食べ物ではカフェインが体に合わなかったりします。家族にはアトピー持ちがいます。

 

そんな「自分とは違うところがある人とのこと、考えてみませんか」と問いかけてくれるのがこの絵本です。

みえるとか みえないとか

 

地球から他の星の調査に出掛けた「ぼく」がたどり着いたのは「目が合計みっつ、前にふたつ、後ろにひとつ」ある人たちの星でした。

 

その星の人たちは「ぼく」に言います。「後ろが見えないなんて、かわいそうに」「かわいそうだからその事には触れないでおこう」

 

「ぼく」にとっては後ろが見えないことは当たり前のことで、可哀想なことではないし、腫れ物にさわるように扱われることでもありませんので、かえって困ってしまいます。

 

そんな経験、ありませんか?車椅子や白杖を使っている方などを見掛けたとき「かわいそうに」と思ったこと。わたしはあります。でもご本人にとってそれは日常。無関係なわたしが「かわいそう」などと思うのはちょっと違うんじゃないかなと。

 

「自分とは違うものを抱えている人」が助けを求めていたら、その時には出来る範囲で応えられたらいいなと思います。

 

この絵本、大人はとても考えさせられるし、子どもにとっては視野が広がる作品だと思います。

 

わたしは個人的に「障害は個性」という言葉に違和感を持っています。個性という言葉を当てはめるより「この人はこれをするのが難しいんです」「ああそうなんですね、何かお困りの際には声をかけてくださいね、お手伝いしますよ」で良いのではないかなあ、などとも思ってしまいます。

 

障害があってもなくても困ってる人がいたら手を貸す、でいいんじゃないかな、と。

 

ですが、実際に障害をお持ちの方からするとまた違った感じ方になったり、それこそ人それぞれ考え方も違うのかもしれません。

 

難しいな・・・。

 

けれど、皆が皆を思いやり「わたしはこういう人なの」「へえ、そうなんだ」と自然体でいられるような世の中になるといいな、と、本を閉じて思いました。

 

この本、多くの人に読んでもらいたいな。大人にも子どもにも。

 

この文章を書いていて思い出したことがありました。前述したとおり、わたしはカフェインが体質に合わず、外食時には飲み物に困ることが多いです。コーヒー・紅茶を置いているお店のなんと多いことか。お酒は飲まないし、甘いものは胃がすぐ疲れてしまうのであまり飲まないし。結局「水でいいや」ということも多々あります。

 

ある日、一緒に食事へ行った方に「実はわたしカフェインがだめで」と話したところ「えー!それじゃあ飲めるものないじゃん!」と大笑いされたことがありました。未だに何処が笑うポイントなのかわかりません。面白いですかね?体質に合わないものがある、と話しただけでこういった扱いを受ける事もあるくらいなので、障害をお持ちの方は嫌な思いをされる事も多いんじゃないかな・・・などと、余計なお世話であることは承知の上で考えてしまいます。