よもぎ日記

ゲームや読書が好きなインドア派。平凡な日常ネタばかりになると思いますが、インターネットの片隅でこっそり生きていくつもりです。

祖父母の思い出って、正直ほとんどない。

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

節電の嵐から開放された道民よもぎです。ひゃっほう!

「節電お疲れ様でした。ありがとうございました」との通達があったとはいえ、北海道はこれから暖房を使う季節が間近に迫っています。この間のようながっつりした節電、とまではいかなくても、電気を無駄遣いしていないか、細かな節電は続けていこうと思います。

 

さて、今週のお題ですが、おじいちゃん・おばあちゃんのこと、ですか。

父方・母方どちらの祖父母も、何年も前に亡くなっています。

 

まず父方の祖父母ですが、車で十数分の距離に住んでいながら、年に1~2回しか会いませんでした。会った際皆でどこかへ出かける事などもなく、ただ祖父母の家へ行って少しの時間を過ごすだけ。彼らと話すのはもっぱら両親で、わたしはただただ暇で暇で退屈で早く帰りたくて嫌でした。

 

母方の祖父母。こちらも年に数回しか会わないレベルでしたが、父方よりは付き合い方が若干濃かったかな、と思います。あくまでも「若干」です。「おじいちゃん、おばあちゃん、だいすきー!」みたいな感じではないです。祖父とはあまり話した記憶がないし、4名いた祖父母の中では最も会話をした祖母は、わたしの母と顔を合わせるたびに同居しているヨメや他人の悪口ばかりで、その場に同席するのが子供心にも気まずかったことを覚えています。

 

会うたびにお小遣いをくれた母方の祖母。4人の祖父母の中で一番話しやすかったのは彼女でしたが、こちらから心をひらいて色んな相談をするような感じではありませんでした。可愛がってくれているのはわかっていましたが、大人になってから、今までの祖母の言動を振り返った時に「この人は、人としてどうなんだろう?」という疑問がふつふつと湧き出してきてしまい、ものすごく冷めた気持ちになったことを思い出します。

 

夫の祖父母が亡くなった時、彼はとても落ち込みました。そこまで落ち込める夫が羨ましくもありました。ショックが大きければ大きいほど、その関係が濃く、そして愛しいものだった証拠ですもの。わたしには、それがなかった。彼には申し訳ないけれど、自分の祖父母との関係が希薄だったわたしには、彼の祖父母に対する思いもまた、薄いのです。

 

お盆やお彼岸、お墓参りをする機会は年に何度かありますが、わたしは全く行きたいと思いません。悼む気持ちがないからです。

 

こういうのを「冷たい」と表現する、というのはわかっています。

でもそれがわたしが送ってきた人生の結果なのです。