わたしは人を「嫌い」と思わないかもしれない
すっかり寝込んでいるよもぎです。よぼよぼ。
処方された薬を飲んでガンガン寝てます。夜の睡眠の他にも午前中とお昼過ぎの2回、二時間程度寝ていますが、寝れば寝るほど回復してきている気がします。
午前と午後にそれぞれおやすみタイムがあるのは、薬(1日3回)を服用した後の眠気が強いから。風邪薬でめっちゃ眠くなるんですよ、わたし。
まあそんな感じでこの週末はずっと横になっていました。
横になりながらLINEのやりとりをすることがあり「○○さんには困ったものだ」的な話題が出ました。その時にふと思ったんです。確かに○○さんとは行動のテンポが合わず、困る場面もある。けど、わたしは○○さんのことは特に嫌いではないんだよなあ、と。
そこから○○さんのみならず、自分の周囲の色んなひとたちを思い浮かべました。あの人は□□なところがわたしは苦手…でも悪い人ではないよな、とかいう感じで、どの人を思い浮かべても「あの人が嫌い」という感情は出てきませんでした。
その代わり「無理」という気持ちが出てきたんです。「嫌い」ではなく「無理」。
もしかすると「嫌い」よりも強い感情になるのかもしれませんね。好みの問題ではなく拒否反応ですから。
あの人のああいう所が無理。
そういう部分を発見してしまうと、一定の距離以上は近付かないようにしてしまいます。近付きすぎず、離れすぎず、といったところでしょうか。関わる必要がある間はその距離感を変えることはないと思いますが、関わらなくても良くなった途端、一気に離れます。
なんかずるいやり方だなあと自分でも思います。
ほんの数人ですが、身近に「少し距離が欲しい人」がいてその人達の事を自分がどう思ってるか考えるとやはり「嫌い」よりも「無理」なんですよね。完全に拒否。その感情も「嫌い」の一部に当てはまるのかもしれないけど。でも、それよりも根深いやっかいな感情なのかもしれません。
誰の事も嫌わず、どんな態度も受け止め自分の中で浄化できるような、そういう美しい人も世の中にはおそらくいるのでしょう。そういう人にわたしもなりたかった。出家して修行でもすればそうなれるのかな。
いや、ないな。
わたしが誰かの行動を「無理」と思うように、誰かもまたわたしのことを同じように思っているかもしれません。それならそれでお互い様だから少しは気がラクなんだけどな。
歪んだ思考は体調が悪いせい。きっとそう。