よもぎ日記

ゲームや読書が好きなインドア派。平凡な日常ネタばかりになると思いますが、インターネットの片隅でこっそり生きていくつもりです。

【本】のぞきめ 三津田信三

よもぎです。ホラー小説が好きです。

 

のぞきめ

タイトルがひらがなだけのホラー小説って、なんだか怖さが増す気がしませんか?わたしだけかもしれないですけど。

 

この「のぞきめ」山の中の貸し別荘で夏休みのバイトを始めた大学生たちが、管理人から「これだけは、しないでくれ」と事前に注意されていたことをしてしまったがために怖ーい目にあってしまうんです。

 

その怪異の原因が後半で判明するのですが、わたしは「怖さ」よりも「悲しさ」が強かったです。

 

人を怖がらせる類のお話って、その発端は悲しい出来事が多かったりするんですよね。例えば「ここで女の人がこうやって殺されたので恨みに思って化けて出る」「未練が強くて成仏できない」「さみしくて道連れにしようとする」などなど。悲しかったり酷い出来事が起きた結果、命が消え「なぜ自分がこんな目に」と怨念だけが残り、生きている人たちに障る。その正体がわからないから、人々は怯える。

 

ホラーって悲しみと背中合わせになっていると思うんです。だからわたし近頃は、怪異の原因を突き止めるホラーを読むと、悲しいな…と感じます。あの貞子(リング)も、実は悲しい過去を背負っていたりしますもんね。

背が低い故のこだわりだと気付いたこと

よもぎです。

 

わたしは身長があまり高くありません。むしろ低い方です。150㎝。

 

この身長で時々困るのが服を買うとき。

 

多分、160㎝くらいの人が着るといい感じになるんだろうな、というワンピースなんかは、わたしが着るとなんかおかしい丈になります。裾が膝あたりにくるとバランスが良さそうな服はたいていすねの辺りに裾が来ますし、これからの季節に欠かせないコート類は、なかなか丁度いい丈に巡り会えません。わたしが着ると、たいてい変に長いです。

 

ま、服の事はじたばたしても身長が伸びるわけでもなし、こんなもんだよと諦めていますが、長年、諦めもせず好きで居続けているアイテムがあります。

 

それは、ヒールの高い靴。

 

そう!かかとが高いと背が伸びた錯覚に陥ることができるんです。

 

あんまり高いヒールは履けませんが、ちょっと高いヒールの靴が大好きなんです。長年ただの好みだと思っていたのですが、最近になって「これは低身長のコンプレックスからきているこだわりなのでは」と考えるようになりました。

 

少しでも背が高くなりたい。ヒールの高い靴を履けば、ちょっとだけ背が高くなった気になる。華奢な感じの靴が好き。言ってしまえば背伸びして歩いてるのと変わりないだけなんですけど、それでも気分は違います。

 

高いヒール、といってもせいぜい数㎝。視界が広がり景色が変わるというほどの変化ではありませんが、わたしには大切な数㎝。野鳥のオスが自分を大きく見せるために羽を広げたりするようなもんです。わたしの場合は別に誰かに身長をアピールするためではないですけど。笑。

 

自分自身に、ですね。

 

あんたはチビだ。でも踵の高い靴を履いて、背筋ピーンと伸ばしてごらん。ほら、身長が低くたって、それなりにシャキッとできるでしょ。

 

自分にそう言いたいんだと思います。

 

背の高い人はわたしに「小さくていいな」と言うけど、わたしは逆に「背が高くていいな」と言います。所詮、人は自分にないものを欲しがる生き物だってことですね。

 

ここまで書いておいてアレですが…なんか同じような内容を以前にもここに書いた気がしてます、今。

 

ま、いっか笑

普段読書をしない人には児童書をおすすめします。

今週のお題「読書の秋」

 

本日二度目の登場、よもぎです。

 

みなさーん!本、読んでますかぁー?わたしは毎日なにかしら読んでますよー!がっつり読む日もあれば、ほんの数ページ読んで終わりの日もあります。仕事や勉強で必要、というのではなく完全に「趣味」の域なので、好きな時に好きなように読みます。

 

わたしの周囲の人たちはあまり本を読まない人が多いのですが、たまーに「読書しようと思うんだけど、どういうのを読んだらいいのかな」と声をかけられることがあります。そんな時、わたしは児童書をおすすめする事が多いです。

 

児童書。子供のための本。ですよね、一般的な解釈としては。でも大人が読んでもいいんです。

 

例えば「名作」といわれる作品、たくさんありますよね。子供の頃、学校の図書室や地域の図書館で見かけたけど…でもそれらの本は表紙が古臭くて手に取る気すらしなくて…結局未読のまま大人になってしまった…。なんて人も多いのではないのでしょうか。まぁわたしのことなんですけどね。

 

そこでおすすめなのが児童書なんです。児童書の良いところは、何と言っても「使われている言葉が易しいところ」です。そりゃそうです、そもそも子供が理解できるように書かれているのですから。だからこそ、普段は本を読まない大人のみなさんに手にとっていただきたいんです。

 

言葉が易しいので、本を読み慣れていない人でもスラスラ読めちゃう。スラスラ読めるからあっという間に読了できちゃう。どういう物語なのか、ざっくりと内容も理解できちゃう。お得ぅ☆

 

わたしはこの方法で「西遊記」を読了しました。児童書でも全3巻と少し長めでしたが、本来はもう少し長いそうで。子供向けではない部分を省略していたようですが、それでもかなり面白かったです。

 

あとね、意外と大人になると読まないのが、絵本。絵本はいいぞ!ほんとにいいぞ!

 

大人になった今だからこそわかる物語の深さが隠されている作品が多い気がします。「わすれられないおくりもの」とか、大人が読んだら号泣ですよ、号泣。美しい絵を見ながら味わう物語。絵本は芸術です。「どい かや」さんの絵本は優しい世界がとても素敵でわたしは「かえるのピータン」が好きです。「岡田よしたか」さんの絵本も面白いですよ。迫力ある絵でシュールな内容。関西弁で書かれており、読了後は関西弁を誰かに教えてもらいたくなります(わたしは北海道民)そして関西弁で声に出して読みたい!

 

もしもこの週末、予定が何もなければ図書館へ行ってみませんか?絵本ならほんの数分もあれば読めます。児童書なら、作品にもよりますが小一時間もあれば読了できるのではないでしょうか。作品の中に出てくる短い一文が、心を強く揺さぶることもあります。そんな本がきっと、あなたを書棚で待っていますよ。

【本】誕生日の子どもたち トルーマン・カポーティ

よもぎです。

 

先日初めてカポーティを読んでからというもの、他の作品も読みたい衝動に駆られています。

 

カポーティに関する知識は全然ないので、予備知識なしに読んだのがこちら。訳は、あの村上春樹氏。

 

誕生日の子どもたち

短編集なんですけど、その中のひとつ「感謝祭の客」が、わたしには「ずっきゅーん!」ときました。

 

自分をいつもいじめてくるイヤなヤツ。少年はそいつの事が嫌い。学校に行くのもイヤになっちゃう。だけどそいつを感謝祭のパーティに招待しなさいって、親友が言うんだ…。

 

というお話なんですけどね。親友っていうのは同居しているおばあちゃん(でも続柄としてはイトコになる)ほんとにそいつを家に招待するハメになってしまうのだけど、少年はどうするのでしょう。

 

親友のミス・スックは周囲の人からちょっと敬遠されちゃってる老女。だけど少年に正しいことを優しく教えてあげるのです。彼らの関係はとても温かく素敵で、誰にも間に入り込む余地はない。英語が読めたなら是非とも原書で読みたいと思いました。文章がとても美しいのです。英語、勉強しようかな。

 

 

【本】見張る男 フィル・ホーガン

よもぎです。

 

先日、合鍵についてのブログを書きましたが、そのきっかけになったのがこの本です。

 

見張る男

 

主人公は不動産業を営む男性。この男、今まで売った家の合鍵を全てこっそり所持しており、家主の留守中に忍び込むのが大好きなんです。

 

で、忍び込んだ先で勝手に何か食べたり飲んだりして、使ったお皿は洗って拭いて片付けて。

 

めっちゃくつろいでんの。

 

住人の家族構成や留守にする時間帯を完璧に調べあげていて、うまいこと見つからないように立ち回ってる。メタルギアか。

 

こんな不動産屋、気持ち悪いですよね。でもだーれも彼の本性は知らないんです。まさか他人が留守の間に忍び込んでゴハン食べて帰ってるなんて夢にも思いませんよ。

 

そんな彼はある日、すれ違った女性に一目惚れしてしまい、彼女の家の鍵が欲しくて欲しくてたまらなくなってしまいます。さあて、どうやって手に入れようか…。

 

というのがこのお話。

 

女性の鍵を手に入れようと様々な計画を立て実行しますが、トラブルが発生、そしてその時彼が取った行動は…。

 

そのあたりは読んでみてのお楽しみ。なかなか面白かったです。彼の生い立ちも組み込まれているのですが、なんか寂しい人生だなと思いました。

 

解説にもあったのですが、彼は忍び込んだ留守中の他人の家で過ごす事でコミュニケーションをとっているつもりになっている、と。そんなのコミュニケーションでも何でもないのに…。そんな彼が哀れでした。でもそれ以上に色々ヤバイことをやらかすんです、この男。可哀想がってばかりもいられません。

 

「完全にイカれてる」これがわたしの率直な感想です。

合鍵で家に勝手に入られたくない

よもぎです。

 

だれもが持ってる家の鍵。同居してない人に合鍵って渡してますか?例えば実家の親とか。

 

いえね、今読んでいる本が「合鍵を使って他人の家に忍び込むのが趣味な人」のお話でして。もうすぐ読み終わるので近々こちらに感想を書く予定ですが、読みながら「合鍵を使って勝手に家に入られた」実際にあった例をふたつ思い出したんです。

 

ひとつめはわたし自身。

 

結婚して夫と暮らすようになった部屋はもともと彼が独り暮らしをしていたアパートでした。結婚前、彼は実家に合鍵を渡していたのですが、結婚後も義両親がその鍵を持ち続けており、何の予告もなく留守中に部屋に入り、冷蔵庫に食べ物を入れていくことが何度かありまして。

 

食べ物を届けてくださるのはありがたいのですが、わたしは留守中に無断で入られるのが物凄く嫌だったんです。冷蔵庫を開けられるのも。なので夫に「申し訳ないがわたしにはちょっと抵抗がある」と伝えたところ「家にいないお前が悪い」と逆ギレされただけでした。えぇ…だって、家にいないのって遊び歩いてるとかじゃなく仕事でなんですけど…?わたしが悪いんすか…?

 

で、何年か我慢していたのですが、ある日、平日に仕事が休みで家にいたところ、そうとは知らずに義父が合鍵で入ってきてわたしと鉢合わせ。留守だと思い込んでいたようなのでかなり驚いたようです。いやこっちもびっくりですから。いきなり鍵ガチャガチャとかされたら怖いですから。

 

思わず塩対応してしまい相当気まずかったのか、それ以来、留守中に合鍵を使われることはなくなりました。今はその部屋から引っ越しましたが合鍵は夫婦どちらの実家にも渡していません。

 

ふたつめはわたしの身近な人の話。

 

その方は、とあるアパートに住んでいました。ある日、家にいると大家さんが合鍵を使って入ってきて、その方と鉢合わせ。が、すぐに「あら、居たのね~」と帰っていったそうです。その話を聞いた時に「何しに来たの!?」とすっごく驚いたんですけど(結局わからない)大家さんて緊急時以外に普通に合鍵使ってもいいんですか?法律的に何かこう、ないんですか?もしかして大家さんの侵入は日常茶飯事だったのでは…?と、ぞっとしました。もう何年も前の出来事でその方はとっくに引っ越していますが、未だに心に残っている話です。

 

そういえば、ある猫エッセイ漫画でも「大家さんが留守中に合鍵で入ってきて勝手にネコにエサをやる」シーンがありましたが、大家さんが合鍵を使うのってよくあることなのでしょうか…。

 

これらの事例はモラル的にどうなのよ!?と思ってしまうのですが「親だったら勝手に入っても全然気にしないよ!」って人もいるのでしょうね。その辺りは親との関係性でそれぞれ違いがあるでしょうから驚きはしませんが、さすがに「大家さんもOK☆」な人はいないですよね。

 

…たぶん…。

出る杭は打たれるのかな、と思った。

よもぎです。

 

人間関係って、素敵だなと思えるときもあれば、逆に嫌になってしまうときもありますよね。

 

最近、ある方から「実はあの人が苦手で…」と、共通の知人(Aさんとでもしましょうか)の名を打ち明けられて、へぇーそうなんだ、と思ったのですが、そのAさんについては他の人からも「実はちょっとAさんが、あまり…」という話を聞いたことがありまして。

 

おやおや?ずいぶんあちこちから敬遠されてますな?なにゆえ?と考えたところ、Aさんは割とはっきり意見を述べる方なんですよね。わたしに打ち明けた方はまた違うタイプで、あまりガンガン物を言う感じではなくて。

 

あ、それなら苦手意識持つのも納得。と思った次第。もしかしたらもっと直接的な出来事があった故かもしれませんがそこまではわからないので、あくまでも推測です。

 

わたしはAさん、嫌いではないです。「Aさんにはちょっと気を付けた方がいい」という話を他方面からも耳にしていたので若干身構えたんですが、話してみるとわたしにとっては全然嫌な人ではないし、むしろ他の方々が言うのとは逆の心配症的な面もあることを知ったので、誤解されやすい人なのかも…と思いました。

 

意見を交わすのが決して活発とは言えずむしろ控えめな場では、Aさんのようにはっきり次々と意見を出す方は目立ってしまうんですよね…。それが他の方々の目には強引にうつり「苦手」となってしまったのかなあ、と。

 

タイプの違う人に苦手意識を抱くのは仕方ない事だと思うんです。ただそこでツンケンした態度をとるか、表面上は穏やかに接するかで相手との関係も変わってきますよね。大人の対応ってやつです。コイツだけはどうしても我慢ならねえ!と憤ってしまう場合はまた別でしょうが。

 

その場が険悪だったとは聞いていないので、皆さん、穏やかな対応をされてきたのだと思います。陰で我慢もされたのでしょうが…。さすがです。大人です。

 

でもやはり、目立つと嫌悪感にも繋がりやすいのかもしれませんね。そういえば、活発に意見をやりとりすることが当たり前になるような教育をわたし自身、学校で受けた覚えがないので、いつの間にかわたしを含めた多くの人はそういう体質に育てられてしまったのでしょうか。

 

最近わたし、我ながら前に出すぎてるなと思いつつも割と言いたいことを言った場面があったので、もしかすると「よもぎのヤツには気を付けた方がいいよ」と言われてるかもしれません笑。

 

や、ホントにそうなら笑えませんけどね、実際。でも可能性はあるなあと思っていたところへ今回の打ち明け話だったので、出る杭は打たれる宿命にあるのだろうなあ、と、ぼんやりとですが思いました。打ち明けてくださった方は、ただ「苦手」と話してくれただけで、特に対象の人物を叩いたりはしていないです。だから「出る杭を打つ」は言い過ぎな感が否めませんが、わたしの語彙力がアレでソレなせいなので察してください。

 

みんなが出る杭になっちゃえば打つ気にもならないんだろうけどなあ。性格の合う合わないもあるから、難しいですよね。